総務省は7月29日、住民基本台帳に基づく今年元日時点の人口を発表した。日本人住民は前年比91万6744人減の1億1973万6483人となり、42年ぶりに1億2000万人を割り込んだ。一方、外国人住民は同35万3696人増の403万1159人で過去最多となった。人口減少そのものは以前からだが、数字の節目を迎えると、改めて人口減少を実感する。企業では人手不足が常態化し、外国人材の受け入れ、ロボットやAIによる省人化など対策が進んでいるが、それ以前に、人は足りなくなってもすぐに確保できないと忘れがちだったのではないか。
米なら凶作でも、来年の豊作を前提にすれば1年で補える。石油や鉱物も、価格や調達先を変えれば融通が利く。しかし人は違う。生まれてから働き手になるまで最低でも十数年、技能を身に付け一人前になるまでならさらに長い。
振り返れば、バブル崩壊後の日本には、教育を受け、技能を身に付けた第二次ベビーブームの若者が相対的に多くいた。不況下で採用や人件費を抑えることは、個々の企業には合理的な判断だっただろう。しかし、それが社会全体で積み重なり、十数年、数十年かけて育つ人的資源を十分に活用、育成しないまま時間を経過させた。その結果が現在だとすれば、一時の小さな合理性が長期的には大きな不合理になったともいえる。
もちろん当時の判断を単純に追及はできない。人材育成に余裕を割けば価格競争などで不利になり、会社そのものが生き残れなかった可能性もある。ただ、当時に経営判断を下せる立場にいた人たちは、自分たちの判断が何を残し、何を失わせたのかと向き合う必要がある。
そして今、同じことを繰り返していないだろうか。外国人を単なる労働力として人数だけで考えれば、生活者としての受け入れや地域社会との関係が後回しになる。AIやロボットも、依存し過ぎれば人間側の技能や判断力を失う可能性がある。インフラも、平時の維持更新費を惜しめば、災害時に地域の生活圏そのものが崩れかねない。
長期的な先見性とは、正確に予測することではなく、将来失えば取り戻せないものを残しておくことではないか。目先の小さな損を避けて、人材育成、インフラ更新、技能継承、余白などを削れば、後に大きな損失となって戻ってくる。
だからこそ今回の発表は単なる節目とみてはならない。今軽視しているものは何か。それは何十年後に「なぜ残しておかなかったのか」と問われるものではないか。足りなくなってからでは遅い。今ある人材をどう育て、次の世代へ何を残すか。それが、長期化確実な人材不足と向き合う第一歩だろう。
