フェアトレードという言葉がある。発展途上国の生産者に対し、安く買いたたくのではなく、生産を継続できる適正な対価を支払う考え方だ。コーヒーやチョコレートなどを通じ、身近な言葉になったが、その精神は国内でどうだろうか。
物価上昇が続く今、値上げを歓迎する消費者は少ない。企業間取引でも原材料費やエネルギー費、人件費の上昇を理由に価格改定を申し入れる取引先に、「こちらも厳しい」と従来価格を求めることがあるが、これは供給元の利益を削り設備投資や賃上げを妨げ、事業の存続を危うくする。
経済産業省によると3月時点の中小企業の価格転嫁率は54・2%にとどまる。コスト上昇分の半分近くが価格に反映されていない計算だ。もちろん買い手側にも経営上の事情はある。しかし負担を一方的に供給側へ押し付け続ければ、サプライチェーンのどこかが持たなくなる。
安く買えることが必ずしも得とは限らない。取引先が廃業すれば必要な製品やサービスを供給する企業がなくなり、最後は買い手自身が困る。目先の利益を優先は将来の供給網を自ら細らせる行為でもある。この問題は企業間取引だけではない。企業にとって従業員は重要な人材供給の受け手だが、その人材を育てるのは企業だけではない。家庭が子どもを育て、学校や行政など社会全体が教育や環境整備を担い、人材を送り出している。
そうなると企業が人材に支払う賃金も「再生産」を一つの目安にできないか。従業員が家庭を持ち、自分と同程度の教育や技能を持つ子どもを少なくとも1人育てられるだけの生活基盤を維持できるか、という視点である。もちろん子どもを持つかどうかは個人の自由であり、家族の形もさまざまだ。ただ現在の社会を支える人材を次世代でも確保できるだけの所得を、社会が働く人に保障できているかを考える目安となる。さらに言えば、その人材を育てるには家庭だけでなく学校や行政、社会全体の負担もある。家庭を疲弊させれば企業が将来必要とする人材そのものが細っていく。
フェアトレードの精神は相手を一度利用できればよいというものではない。相手が次も生産し、次も働き、次の世代まで続けられる条件を整えることに意味がある。これは海外の生産者だけでなく、国内の仕入先、従業員、家庭にも当てはまる。
SDGsの「持続可能性」を遠い外国の話にせず、身近な取引にも向けたい。存続させる適正な価格と賃金は、巡り巡って、自分たちの供給網と社会を守るための投資である。
海外にはフェアトレードを、国内には価格競争を―ではなく、国内にもフェアトレードを。物価高の今こそ、その意味を考えたい。