供給維持に必要な余裕・余力

2021年1月11日

 新型コロナウイルス感染症拡大の影響で医療体制が逼迫し、1月初旬の時点で東京都、埼玉・千葉・神奈川県から政府に対し、再度緊急事態宣言の発令が要請され、7日から発令の見通しとなった。
 危惧されている、いや既に起きているかもしれない「医療崩壊」は同感染症発症者・感染者の対応で手一杯になる事のみを指してはおらず、同感染症に対応しきれたとしても、普段の医療行為に回しているリソースを融通しての一時しのぎに近い状態で、全体として手一杯な状態が長期的に続き普段の医療を必要としている人々が後回しとなるのも、医療サービスの需要過多・供給不足で「医療崩壊」とされている。
 そう、医療は社会保障や制度で無償・安価で受けられたとしても、社会全体で大きく見ればれっきとしたサービス産業であり、それを忘れ、もしくは軽視してきたのかもしれない。医療従事者は専門の教育機関で学業を修めたり、制度に基づいて資格を所得した技術者=プロフェッショナルによって行われるサービスだ。
 これは医療サービスに限らずモノ(物資)も含め、あらゆる産業全体でいえるはずだ。1993年の冷夏による米不足、2011年の東日本大震災では災害対策で必要な備品、ガソリン、食品、直接被害のなかった地域でも不安に駆られて全国的に買占めが発生し、昨年はマスク・消毒液不足も発生した。戦後直後のモノ不足でなくとも、危機的状況において経済における「モノ・カネ・ヒト」の需給バランスが容易く崩壊する事は、歴史レベルでなくとも昨今何度も起きている。10年前に「1000年に1度といわれる東日本大震災」、一昨年から今年、そしてさらに続くかもしれない「100年に1度といわれるパンデミック=コロナ禍」。仮に同じ種類の災害は次の発生までかなり期間が空くとしても、災害はそれだけに限らず常に「~年に1度」クラスの何かが来るものと認識するべきなのだろう。
 ではなぜここまで余裕(余力)が無いのか?「モノ・カネ・ヒト」の余裕を「無駄」とみなし軽視して削ぎ落してきたツケが今来ているのかもしれない。行政も企業もスリム化に邁進して俗に〝筋肉質〟を目指してきたが、体全体で過大な負担にならない程度には必要なエネルギー備蓄となる〝脂肪=余裕〟を蔑ろにしてきたのだろう。
 そしてモノに限らず長年の少子化を背景に、同感染症拡大まで続いた人材不足=雇用市場における売り手市場。モノがあっても、カネがあっても、ヒト=人材=労働力があっても…必要とする他のが確保できない、急に必要になっても困らないように余裕を考えるのも社会の〝BCP〟といえるはずだ。

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