新年会や賀詞交歓会が一巡しそろそろ年度末だが、頻繁に聞かれたのが「高付加価値化」という言葉である。だが本質的な問題は明快だ。付加価値を高めたとして、それが本当に価格に反映されるのか。それとも結局は値段据え置きにとどまるのか。技術もやる気もある。にもかかわらず、うまみが示されない市場では企業は本気で動けない。企業は社会の公器ではあるが、慈善団体ではない。利益が出なければ投資はできず、次の一手も打てない。資本主義とは「元手」があってこそ回る仕組みである。
この20年以上、日本経済はデフレ的な発想に覆われてきた。デフレは単なる物価の下落ではない。「値上げは悪」「安さは美徳」という価値観が広がり、価格を引き上げること自体が否定的に受け止められてきた。その結果、付加価値向上のための投資が回収しにくくなり、研究開発や設備投資、人材育成に十分な資金が回らない。価値が上がっても価格が上がらない。価格が上がらないから利益が出ない。利益が出ないから投資できない―こうした負の循環が長く続いてきた。
さらに日本市場には「価格は下げろ、品質は落とすな」という矛盾した風潮がある。本来、価格と品質は連動するものだ。低価格帯は相応の品質、高価格帯はそれに見合う品質という関係があってこそ市場は健全に機能する。しかし価格引き下げの圧力が強い一方で、品質低下は許されにくい。その結果、どこかに、誰かにしわ寄せとして賃金や労働条件、技術継承といった見えにくい部分に及ぶ。表面上は維持されていても、内側の体力が削られていく構造で、いずれ従来通りの品質・価格どころか供給すらおぼつかなくなるはずだ。
背景には消費者の強い価格志向もある。安さを最優先する市場では、企業は値上げの合理性を説明する前に批判を受ける。だが高付加価値化を本気で進めるなら、価値に対価を払う市場が不可欠だ。企業が採算を前提に価格を提示できる文化がなければ、持続的な投資は生まれない。
そのためには、国民生活に余裕を持たせる政策も重要になる。税や社会保険負担の軽減、教育・医療・住宅費の抑制、子育て支援の拡充など、可処分所得を高める取り組みが求められる。生活に余裕がなければ、消費者は高価格を受け入れられず、企業も価格引き上げのリスクを取りにくい。
結局のところ、高付加価値化は掛け声だけでは実現しない。価値がきちんと価格に反映される市場があってこそ、企業は将来への投資に踏み出せる。価格上昇を一律に否定するのではなく、価値と価格が正しく結びつく社会へ。その議論を深めることが、停滞から抜け出すための前提条件である。
