生成AIの急速な進化は、就職環境をこれまでにないほど揺さぶっている。米国では大卒の失業率が全体を上回り、技術系専攻でさえ就職難に直面している。日本でも同様の兆しが見え始め、企業の採用現場では「AIで代替できる仕事」が広がりつつある。これまで新人が担ってきた定型業務の多くをAIが引き受けるようになり、企業は人を育てるよりAIを活用する方が効率的だと判断し始めたのだ。
会議調整、議事録作成、資料の要約、メール文案といった作業は、これまでは新人の役割だった。退屈さや煩雑さを伴うが、同時に実務の基礎を身につける入口でもあった。失敗を経験し、上司の指導を受けながら試行錯誤する中で、判断力や責任感、段取りの妙や気配りといった職業人として不可欠な感覚が磨かれた。現在、中堅以上の世代は、AIが存在しない環境の中でこうした積み重ねを自身の武器としてきた。もし、AIがこの領域を丸ごと代替してしまえば、新人はどこで技能を磨き、どこで自分の強みや課題に気づくのか。かつて当たり前だった「失敗してもよい環境」が急速に失われつつある。
もっとも、かつての下積みが常に成長に寄与していたわけではない。現場によっては、適切な指導者が不在のまま作業だけを押しつけられ、自発性を奪われることも珍しくなかった。失敗を許容しない職場では、新人は萎縮し、学びより「怒られないこと」が優先されてしまう。退職代行の利用が若年層に集中している現状は、こうした育成の不全が長く放置されてきた証左だ。AIによって失われつつあるのは、単なる学びの機会ではなく、企業が本来向き合うべき「育成の質」が改めて問われているという事実ではないか。
人の成長には、不快でも快適でもない「中間領域」の経験が欠かせない。強い嫌悪感を伴う仕事は自発性を奪い、好きな仕事ばかりでは偏りが生じる。好きでも嫌いでもない仕事、とりあえずやってみる仕事には、「意外とできる」「思ったより面白い」という発見が潜む。この小さな成功体験が、仕事への自信や自発性を育む起点となる。
従来の下積み業務は、まさにこの中間領域を広く提供してきた。AIが置き換えているのはこの領域であり、新人が自分の適性を見つけ、経験値を蓄え、仕事との距離感をつかむ試行錯誤の機会が奪われつつある点こそ、深刻な問題と受けとめるべきだ。
AIが人の代わりになることはあっても、人を育てる責任の代わりにはならない。効率や合理性を追求するあまり、成長の場を奪ってはならない。人が育つ余白をどう確保し、どう守るのか。AI時代の社会に問われているのは、その覚悟ではないだろうか。
