前号に続き「挑め!省力化」特集をお送りする―。昨今の企業では、コスト削減だけでなく人手不足対策としても省力化・省人化、デジタル化など語られることが少なくない。しかし、これら効率化は「目的」ではなくあくまで「手段」であり、そこで生まれる余力を次の一手として何に活かすかこそ、組織や社会に価値をもたらすかどうかの分かれ道だ。
近代工業の歴史を振り返れば、産業革命による効率化は人類の生活を大きく変えてきた。筋肉労働からの解放や生産効率の飛躍的向上は素晴らしい成果であった。その一方で過酷な労働環境や社会不安、貧富の差の拡大を生み出し、効率化の恩恵が労働者や社会に十分還元されなかった最初かつ最も有名な事例といえる。この事例は、効率化がそのまま社会の豊かさや幸福につながるわけではないことを教えてくれる。
その点を踏まえフォードのT型自動車生産ラインは好例といえる。ライン生産による高効率化は労働者に反復的できつい負荷を強いるが、当時としては破格の賃金を支給することで、効率化で生まれた余力を従業員に還元した。労働者は消費者としても経済の循環に組み込まれ、企業は成長の好循環を手に入れた。この事例が示すのは、効率化の成果を「次の価値創造や還元に回すこと」が資本主義的な持続可能性の本質であるということだ。
ところが現代に目を転じると効率化だけを追求し、余力の還元が軽視されてないだろうか?いくら最高能率で生産・販売を行っても、従業員は疲弊し、創造性は枯渇する。カネやヒトが活かされずに滞留するなら、それは企業にとっても社会にとっても「死に金」、ひいてはモノ・ヒトも含めた広義の「死に資本」であり、高い売上・利益を叩き出しても空虚で社会を豊かにするとはいいがたい。
さらに効率化の行き過ぎは人間的余裕を奪う。映画「モダン・タイムス」に描かれるように、創造性や自由を犠牲にせず、その先に何を見据えるかが重要である。生み出されたモノ・カネ・ヒトの余力を、次の事業に投資、従業員の待遇改善、それこそ慈善事業も含め社会全体の経済循環に還元することこそが、資本主義の本質なはずだ。余力を削り出すだけならば、その先に成長や発展は期待できない。
効率化はゴールではない。重要なのは、そこで得た余力を次の価値創造にどうつなげるかである。社会を豊かにする企業は、効率化の成果を循環させ、従業員や消費者含め社会に還元することで、経済との好循環を作り出せる。結局は、効率化の恩恵をいかに生かすかが、持続可能な成長と社会的豊かさのカギであり、真の意味での価値と繁栄が待っているはずだ。
