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命令責任とコンプライアンス

5月下旬から6月上旬にかけては、多くの団体において総会のシーズン。団体長の挨拶ではこの一年間を振り返りつつ、これからの1年間に対し景況感については政治による影響の不安もあるようだが概ね安心・期待感について話す一方、時期もあるかもしれないが、5月上旬に起きた日本大学アメフト部による試合中の悪質タックルについて話される事が多かった。

タックルを行った選手、指示したとされるコーチや監督、そして大学が次々に会見・発表を行い6月上旬時点でも真相究明の途中だが、思い浮かんでしまう人物やエピソードは「アドルフ・オットー・アイヒマン」と「杉原千畝」、昨今の「森友学園問題」、そしてドラマ「私は貝になりたい」や「半澤直樹」だ。

「アイヒマン」は第二次世界大戦に起きたとされるユダヤ人虐殺で、指揮的役割を担い、ドイツ敗戦後はアルゼンチンへ逃亡したがイスラエルに逮捕され処刑。一方の「杉原千畝」は同時期リトアニアの領事館で、迫害を逃れる受給要件を満たさないユダヤ人に対しても、独断で通過査証を発行し、後に「命のビザ」と言われ評価されている。「職務」か?「倫理=ヒューマニズム」か?役人としてみれば、アイヒマンは職務を全うし、一方で杉原千畝は職務規定違反といえる。

「森友学園問題」も真相究明の途中だが、公文書書き換えという役人(官僚)の「忖度」。公的機関が社会の根底を揺るがす事態であり、「マニュアル通り」はよく批判の対象とされるが、「良かれと思って機転を利かした」では済まされないだろう。

「私は貝になりたい」は、第二次世界大戦中の日本において徴兵された理髪士が、墜落し負傷した爆撃機の搭乗員を、捕虜にせず上官からの命令で現場処刑し、戦後戦犯として処刑される不条理を描いている。

そして「半澤直樹」で思いだされるのは、大和田常務のセリフ「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」…。

命令が規定・法律や倫理に反していたら?部下が遂行した場合の結果として評価、そして問題が起こった場合に責任は誰がどこまで問われるのか?いつの時代、どこの国、そしてどの組織でも起こりうる、命令責任のジレンマだ。

コンプライアンス(要求・命令等への承諾。追従。法令遵守。業務において社会規範に反する事なく、公正・公平に遂行する事)が声高に叫ばれ、良い事なはずだがともすれば「過剰コンプライアンス社会」とまで言われつつある現代日本。「昨今の若者の出世意欲が低い」とされるのは、「責任を取る覚悟が無い」のではなく、「コンプライアンスが一方で徹底され、一方で欠落し振り回されて、評価(収入・地位)の割に責任ばかり重い」からかもしれない。

2018/06/11 金属産業新聞