国際経済を支えるコンテナリゼーション

2021年5月17日

 3月末にエジプトのスエズ運河で座礁した正栄汽船(愛媛県今治市)所有の大型コンテナ船エバーギブン号。約400㍍の巨体は世界最大級で、およそ2万のコンテナを積み込むという。今回の事故はコンテナ船の大型化が進んだ結果だと指摘される。どの業界とも接点を持ち、世界経済を支える海運の存在を強く意識する事故となった。
 物流に用いるコンテナ。この地味な存在にスポットを当てた書籍がある。マルク・レビンソン著「コンテナ物語 世界を変えたのは『箱』の発明だった」―。
 コンテナ物流以前の世界では波止場で大勢の労働者が働いていた。港湾に形成された大型都市において、労働者は荷物を載せた荷台を引いて埠頭と市街とを行き交った。当然、当時の製造業は港に近い方が都合が良かった。
 大きさも形もまちまちの荷物を集荷し、仕分け、積み込むのは大変な時間とコストを要する。さらに到着した先の港でも積み下ろし作業が待っている。1954年アメリカに存在した船舶ウォーリアー号を例にとると、積荷は木箱、段ボール箱、袋、紙箱、ドラム缶、車両など様々あった。これら形の様々な荷物により、当時の貨物船は実に全輸送日数の半分を港に停泊して過ごしていたそうだ。
 このコストを切り詰めるための発想が「箱」だった。コンテナの発想は随分と以前からあったようだが、当時のヨーロッパでコンテナと言えば木の箱の四隅を金属で補強したものであり、また当時のアメリカ陸軍でコンテナと言えばスチール製の日用品を入れる箱など様々だった。さらに当時のコンテナメーカーは様々なサイズのコンテナを作っていた。
 この無秩序な状態に終止符を打つべく1958年に米海事管理局はサイズ統一に乗り出し、各国の海運会社は規格化に向けて話し合う事となる。しかし各国鉄道の線路幅の違いやそれぞれの思惑などから議論は紛糾。それに加えてISOが規格統一に乗り出した事で規格戦争は過熱した。また金具や仕様も様々あり、上部にアイボルトが付いていて吊り上げ可能な物など多種多様であった。
 60年代半ばから徐々に国際コンテナ輸送が現実味をおび始め、遂に統一は果たされた。グローバルサプライチェーンの構築はコンテナ革命の産物に他ならない。船から鉄道、鉄道からトラックへとシームレスな定時輸送がなければジャストインタイム方式はあり得なかった。
 モノの輸送が高くついた時代では考えられなかったシステムで現代の製造業は成り立っている。世界を股にかける分業システムでは仕掛品、いわゆる中間財さえもが世界中を行き交う。

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