テクノロジー拒否

2020年2月10日

 香川県が先月、ネット・スマートフォン・ゲームの利用時間を制限する「ネット・ゲーム依存症対策条例(仮)」の素案を公表した。県外まで賛否両論の意見が挙がったが、人は何故、自分達がかつて青少年だった時期にはなかった新たなテクノロジーに対し、拒否するだけに留まらず制度化して若者にまで強要するのだろうか?
 実はテクノロジーを拒否する事は不可能ではない。事例としてアメリカやカナダにあるキリスト教系のアーミッシュのコミュニティは、基本的にヨーロッパから移民してきた当時(18世紀頃)のレベルで生活し内燃機関や電気を使用しない。しかし忘れてはいけない点がある、アメリカ・カナダの社会・領土内で生活しているという事は、世界最先端のテクノロジーに少なからず支えられ、そしてそれによる軍事力に守られているという事だ。
 歴史の常として、進んだテクノロジーで文明(国家・民族・文化圏)間のパワーバランスが崩れると、一方的な蹂躙が起こる。
 周辺の文明と接触しない、テクノロジーの発展が遅れている例でインド領内にある北センチネル島の住民は、領土内にはいるがインドという国家に属しておらず、政府から接触禁止の管理下に置かれている。住民は「異国船打払令」が出ているのか近づく船舶には矢を射かけて、現在も「鎖国」を維持して「攘夷運動」の真っ最中。政府は保護・観察の目的で管理しているが、本気になれば文明の利器で圧倒できるだろう。
 日本において、ねじが一構成部品として伝来したきっかけとなった火縄銃を例とすると、伝来して以降は火縄銃の高性能化・大量生産を実現できたというのに、戦国時代から江戸時代となり天下泰平を目指してテクノロジーに制限をかけて二百年以上。その間に産業革命を経ていた欧米から黒船(異国船)が来た際、開国と攘夷(鎖国)・佐幕と倒幕に関わらず当時の人々は気づいた、〝テクノロジーを拒否し遅れた国家は、目指す方針がどうであれ、外国に圧倒される…〟、幕府も各地の雄藩も製鉄所や造船所(近代的な工場)を構える等で対応を進めた。
 その後、日本は遅れてきた分を取り戻すが如く近代化に邁進したが、やはり技術・時代の変化に人がついていくのは大変な事かもしれない。当時を生きた夏目漱石は英国ロンドンへ留学の際に神経衰弱を患い、作品においては近代文明への警鐘を度々鳴らしている。
 個人としては感覚的には慣れないテクノロジーを拒否したいかもしれない。しかし好き好みに関わらず周辺の文明に対し、少なくとも経済的に負けない、軍事的に侵略されないレベルまでは、嫌が応にも我々はテクノロジーを向上させていかなければならないのだろう。

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